大阪のG

勝手気ままなジジ日記

五月二十四日 いよいよ20日

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昨年の伊太祁曽神社(和歌山)。

 

初投稿からおかげさまで20日

 

拙い私のブログにもご訪問下さる

奇特な方々には心からお礼申し上げます。

本当にありがとうございます。

 

さて、今日は…こんなお話。

 

報道、とても大切ですね。

色んな媒体で色んな情報が

報道されています。

 

報道機関が伝えているのは

んじゃ「事実」?「真実」?

「全て」?それとも「一部」?

 

例えば

A商店、B商店があります。

 

A商店では甲という商品を格安で

販売していますが、乙という商品は

売り切れが続き、丙という商品は

他よりも高い設定になっています。

 

B商店では同じ甲という商品は高め、

乙は豊富に在庫しています。

丙という商品は置いていません。

 

これを報道する時。

色んな報道の仕方があると思いませんか?

 

「A商店では甲を格安で販売中!

B商店よりも安くで購入可能です!」

(A商店に行かなければ!)

 

「A商店では乙は品切れ続く!

B商店では絶賛発売中!」

(B商店なら入手出来る、行かないと!)

 

「A商店では甲も丙も発売中!

B商店では丙は手に入りません!」

(A商店に行こう!)

 

これって全部「事実」なんですよね。

でも残念ながら「一部」。

 

事実とは、本当にある事。

真実とは、そうあるべきと本人が

考える事。

 

ありえへん土砂崩れがありました。

 

土砂崩れがあったは事実。

あるべきでない所での土砂崩れは

きっと人為的なミスは真実。

 

では日本の報道はどうでしょうか?

 

報道機関全てとは言いませんが、

事実の一部を取り上げて、それを

報道機関の解釈で

真実として報道している。

 

とは思いませんか?

 

極論すれば報道機関が世論操作を

目論んでいるという印象を

最近特に感じます。

 

「なっとらん!」

「心配や」

 

そういう反応を見込んでの報道機関

としての「真実」の報道。

 

本当の報道って

全ての事実を知らせ、国民がそれぞれに

それを解釈したり考えたりする為の

資料を提供する事なんちゃうかな?

 

ふとテレビを見ていて

そんな事を考えていました。

 

また事実の報道についても印象操作が

あるような気がします。

 

例えば…。

とても外見が美しいけど性格悪い人が

いるとします。

 

「性格は問題あるけど、超美人!」

 

「美しいけど、性格悪すぎ!」

 

いずれも言っている事は同じです。

でも人間って後から言われた事の方が

よく覚えているんですよね。

 

なので、

良い印象を与えようとしたら

「性格問題あり、でも超美人やで」

 

悪い印象を与えようとしたら

「綺麗やけど、性格悪すぎやねん」

 

という言い方になるんですよね。

 

そういう見方で報道を見ると

色んな事実や真実が見えてくる。

是非、一度お試しを。